昨日から、宝塚歌劇団の第三者委員会の報告を受けてたくさんの報道がされていますが、この一連の報道を受けて私が感じた点について少し触れてみたいと思います。
第三者員会とは、企業不祥事が起きたときに、その原因を独立した立場から明らかにすることを目的としております。そして、企業が不祥事の調査を独立した機関にお願いする意図は、問題を全て洗いざらい公表し、それに対して改善策を構築し、最終的には社会からの信頼を取り戻すことにあります。つまり、不祥事によって毀損された企業価値を取り戻すことに意図があるのです。
そして、本当に不祥事の問題を明らかにするつもりであれば、第三者委員会の構成も多様な人員で構成し、忖度しない意見が出しあえる布陣にしておかないと、その調査結果の公平性も十分に担保されないものと考えます。
しかしながら、今回のケースでは、第三者委員会に9名もの弁護士が名を連ねておりますが、一つの法律事務所にだけ依頼している点は果たして適切だったか疑問を抱かざるをえません。何人もの弁護士が第三者委員会に名を連ねたとしても、結局はその事務所の上司の意向に沿ったものになってしまうのではないかという疑問が生じてしまうからです。遺族側から今回の第三者委員会は、第三者性がないというような趣旨の批判がされているようですが、問題はこの点にもあるように思われます。今回は他の事務所の弁護士を入れて、事実関係を色々な目でみて、忖度のない意見を言える委員会にすべきではなかったかと思いました。
次にパワハラですが、パワハラの認定の仕方は実は両当事者の普段の人間関係がどうであったかも判断材料となるのです。人間関係なども加味した上で、平均的耐性をもったものが心理的圧迫をうけその職場で働くことが困難となっているかどうかとい視点で判断されるのです。
そうだとすれば、先輩がヘアアイロンを使って火傷を負わせたという今回の事件はどうでしょうか。上下関係が厳しく、先輩が後輩に対して髪型を整えてあげるというような関係だったのでしょうか。おそらく、そのような親しい関係ではないはずです。そうだとすれば、どうしてヘアアイロンを先輩がもっていたのでしょうか。この点について納得できる理屈がなければ、安易にパワハラでないという結論を突き付けられても遺族は到底納得しないと思います。
宝塚歌劇団には、先輩後輩の上下関係には独特な伝統があるようです。先輩が後輩を指導し、後輩が先輩を敬うということは今現在でも受け入れられる価値観ではあります。しかしながら、それは、先輩は後輩に対して少しでも上手に演技をして欲しいからという愛情からくるものであるべきですし、そうだからこそ後輩も先輩を尊敬するという気持ちが出てくるものだと思います。このような大事な部分がすっぽりと抜け落ちて、単に形ばかりの先輩絶対至上主義のようなものになっていれば、それは守るべき伝統とは言えないと思います。
そもそもコンプライアンスというのは、単に法令遵守を意味するのではなく、社会規範や倫理規範にも合致した行動を求められるものです。そして、規範は時代の流れとともに当然変わっていくものです。伝統も今の価値観にあったものでなければ常に見直し、組織として変化をしていなければ生き残れません。これがまさにコンプライアンスの意識なのです。
今回のケースでいうと、宝塚歌劇団の上下関係や働き方が今の時代の価値観にあっていたのでしょうか。また、そのような問題を受けて、第三者委員会を設置し調査を依頼したようですが、それはいったい何を目的として行われたのでしょうか。
もう一度、コンプライアンスの意識を徹底し、宝塚歌劇団にも社会が納得するような対応を行い、二度と同じ不祥事を発生させないように努めていただきたいと思っております。